臨床医が論文を書く意義
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はじめに
わたしの友人は、優れた臨床医ばかりであります。
手術の判断に迷う症例や、実際の手術手技に対する工夫、注意点など
相談すると懇切丁寧に返事を下さいます。
さらに、皆さん、同時に優れた論文筆頭者でもあります。
英文も邦文も、臨床の片手間にしっかり論文化されます。
とにかくすごい医師ばかりです。
そのような臨床医になりたくて、わたしも日々頑張っているのですが
なかなか、簡単には皆に追いつけません。
それでも一歩一歩頑張りたいと思います。
判断を誤った初期の頃
ところで、なぜ、臨床医が論文を書くのでしょうか?
わたしはこれまでずっと論文を軽視してきました。
外科医なので、手術ができる医師を目指そう、と。
しかし、学年を積むにつれて判断を誤ったと実感しています。
研修医のころは先輩に習いながら診療をしていました。
また、教科書を読んで診療していました。
これら先輩や教科書が教えてくれる根拠は、多くの論文からです。
指導のなかには経験論もありますが、
複数の経験をまとめた原著論文であれば、その経験は、客観的に検証されたものです。
そのような多くの先人の論文という賜物でいまの医療が成り立っています。
それに気づくことが出来なかったのです。
自分の経験を論文化することの意義
よって自分が感じた些細なことでも世の中に役立つ可能性があるわけです。
症例報告のみならず、いい経験、悪い経験、検証した事象、すべてです。
論文化することは、学会発表よりも社会貢献している実感があります。
なぜか。
じぶんが調べたいことはPubMedで検索します。
先人が検証したことが、すでに論文化されているわけです。
論文にない事ならば自分で論文化すれば、次の誰かの役に立つはずです。
よって、これまで出会った優れた臨床医に、論文を軽視する人はいません。
なぜ論文を書くのか?
わたしが最初に出会った英語論文を書くための虎の巻にこんなふうにまとめてありました。
臨床医が論文を書くことの意義
1. 科学的根拠に基づいた論理的施行のためのよい訓練になる.
2. 観察は緻密になり、治療への取り組みもより積極的になる.
3. 独善に陥らないための他流試合としての意義がある.
4. 自分の経験を客観的に後世に伝えることができる.
5. 世界の医療に貢献するという夢をもつことができる.
6. 医師に充実感と成長をもたらす.
本日のまとめ
この6項目、ほんとうにすばらしいです。
熱くこみあげてくるものがあります。
そして、これに加えたいことがあります。
これらの努力を通じて知り合った方々は、必ず仲間になってくれて、自分の成長を助けてくれる
ということです。
感謝の気持ちでいっぱいになると、良好な循環が産まれます。
それで助けていただいた出来事を何度も何度も経験しました。
わたしはまだまだ友人に追いつくことは出来ません。
でも、なんとか普段の臨床の気付きが世の中に役立てることができるよう
臨床研究を通じて論文化していこうと思います。
ブラックホイス@c3go7bnlvTZxJxm
— とぜんな脊椎外科医@四つ葉スパインクリニック (@yotsuba_spine) August 23, 2019
さんの記事から。
どれだけいい論文を書いているか?
を評価する「h-index」というものを教えていただきました。
あわせて、わたしのh-indexと、お世話になっている関西弁さん、某Y大先生のh-indexも教えていただき、、、
驚愕!!https://t.co/Bv3Gr1VMdd
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